日本語って難しい。

 

昨日、私ごとではあるが、卒論を無事提出することができた。

 

今回、卒論を書くにあたってわたしが一番辛かったのは日本語を書くことであった。

 論文を提出するたび、担当教諭から「日本語を書け。」「言葉が雑」などと、これ以上論文を書きたくなくなるような添削を受け、地獄に陥っていた。

 仲間であるゼミ生にも添削をしてもらったなかで言われたのは「文章力がない」。破壊力のある言葉である。

 

そう。わたしには、日本語力(文章力)がない。

 

思い返してみると、わたしの日本語力の無さは今に始まったわけではない。

 

 小学六年生の頃に自由作文を書いたことがあった。わたしは、ものすごく良い作文ができた!と意気揚々と担任の先生に提出をした。その2時間後、移動教室に行こうとしたときに担任から呼び出され、教室で一人、作文の句読点の打ち方についてこっぴどく叱られたのを鮮明に覚えている。

「どうしてこんなに句読点を打つんだ。」と。先生は呆れながらにわたしが書いた作文の句読点の位置についてここも違う、ここも違うとさばいていく。それを聞きながしながらわたしは、「句読点の打ち方なんて、習ってないからわかんないよお…」と考えていたのだから、句読点の打ち方を教えていただいた先生に対して誠心誠意謝りたい。しかし本当に句読点の打ち方を習った記憶はない。

 

この出来事に続いて、わたしの日本語力のなさは中学校にまで続く。

 それは、中学二年生の頃の国語の授業での出来事だ。国語の授業では、ちょうど文法の授業であり「ら抜き言葉」についてだった。

「食べることができる」という文を短くいうと何でしょう?という問いに対し、先生から指名され答えることになった。正直、わたしには「ら抜き言葉」を乱用するおバカだった。(世の中にはら抜き言葉は多く存在しているのでわたしだけではないはず...と信じたい)そのためその時、ら抜き言葉である「食べれる」としか答えられず(正解は「食べられる」)、何度聞かれても同じ答えしか出せなかった。そんなわたしに対して先生は、「本当に日本人なの?!」とバカにしてきてクラスで晒し者にされたことがある。この出来事は今でもトラウマ事案である。

 

このような程度の日本語力しかないわたしは、大学生になり卒業論文ということばの闇へ足を突っ込んでいった。

 

自分で書きあげたものを読み上げると、書いた張本人である自分でも訳がわからないという文と遭遇し、「わたし語」を「日本語」へ翻訳する作業には膨大な時間を費やした。

 そして、すでに卒論を提出していたゼミ生全員に添削をしてもらうという異例の事態に陥っていた。

 最初、添削してもらっている同い年の子に指摘されるのは素直に意見を聞き入れられなかった。しかし、自分自身でもわからない言葉を必死に日本語に変換してくれてるゼミ生には頭が上がらなかった。

 

もはや自分の論文か、共同論文かわからない論文が無事、提出できた。本当に日本語になっているかという不安を残しつつ、先生からのゴーサインが出たので提出してきた。

 

 添削を行なってくれた先生、そしてゼミ生たちのおかげで日本語として今回卒論を提出することができ本当に感謝しかない。

 

この文を書いて読み返すと自分の日本語力の無さに呆れてしまうが、それでもわたしはブログを書いて徐々に日本語力が上がると思い続けて書いてます。上がるといいね!日本語力!

 

これを書き上げたわたしが報われるよう、挙げておこうと思う。

 2年前のわたしには、とても申し訳ないのだがこれから先、わたしの日本語力は、どんどん低下していくのである。